本田圭佑の年齢や身長は?高校や血液型なども調査

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本田圭佑選手は、サッカー日本代表のエースにまで登りつめ、セリエAの名門ACミランの10番を背負う逸材にまでになりましたが、そこまでに至る経緯とはどのようなものだったのでしょうか。

調べていく内に分かった事は、本田圭佑選手は、生まれつき才能あふれる選手だった訳では無く、努力型の選手というのが分かってきました。

家庭環境も恵まれていた訳では無く、それを乗り越えて一流の選手にまで登りつめたのです。どんなリスクも物怖じせずに突き進み、時には破天荒ともいうべきやり方で、世界に進出し結果を出してきたのです。

保守的な日本人には無い、本田圭佑選手の行動力や実行力は見習うべきポイントがたくさんあります。

それではまず、本田圭佑選手の詳しいプロフィールから見ていきましょう。

本田圭佑選手のプロフィール

名前 本田圭佑(ほんだ・けいすけ)
生年月日 1986年6月13日(31)
出身地 大阪府摂津市
身長 182cm
体重 74kg
血液型 AB型
最終学歴 星稜高校
職業 プロサッカー選手・起業家
プロデビュー 2005年~
現所属 CFパチューカ

高い声と独自のイントネーションで、関西出身というのは分かりますが、大阪人特有のノリの良さというのが本田圭佑選手には、あまり感じられないので、大阪出身と聞いて驚く人もいます。

身長は、日本人としては高めの182㎝なので、外国人相手でも負ける事は無く、フィジカルの強さが売りの本田圭佑選手です。体脂肪率も6%~8%と10%以下を維持し、ハリルホジッチが日本代表選手の体脂肪率の調査を行った際は、5.5%と他の代表選手に比べ圧倒的な体脂肪率の低さを見せました。

血液型は珍しいAB型です。面白いデータで、サッカー日本代表では、極端にB型が少ないといいます。一時は日本代表に一人もいなかった時期もありました。血液型がB型の人は、サッカー選手には向かないのでしょうか?

高校は、元プロ野球選手の松井秀喜さんも通った星稜高校です。サッカーの方は、あまり強くなかったのですが、本田圭佑選手の活躍により、サッカーでも一躍強豪校の仲間入りを果たしました。

本田圭佑選手の小学校時代

幼稚園時代から遊びでサッカーはやっていたようです。摂津市立鳥飼北小学校に入学すると、先にサッカーを始めていた兄の影響もあり、地元のサッカーチーム摂津FCに入団し、2年生から本格的にサッカーを始めました。

当時の本田圭佑選手は、体が細く技術も体力も優れてはいなかったといいます。家庭でも本田圭佑選手がサッカーを始めた2年生の時に、両親が離婚してしまい、父親が3歳離れた兄と本田圭佑選手を引き取ったのです。

父親は、仕事が忙しく子供の面倒を見れないので、祖父母に育てられました。そんな一般家庭とは違う苦しい環境に立たされながらも、サッカーに打ち込み、徐々に実力を身に付けていったのです。

家を出ていった母親との関係は良好で、兄と二人で母親の住む広島に遊びに行った際は、母親に家をプレゼントするという約束までしていました。

小学校時代からビッグマウスは健在だった

こちらが、本田圭佑選手が12歳の卒業文集で書いていた内容です。

この頃から、世界を見据えて「世界一のサッカー選手になる」と断言していたのです。内容も驚くほどリアルで、あたかも今の状況が分かっていたかのような文章です。

ビッグマウス発言により逃げ場を無くし、成功せざる負えない状況を作り出し、自分自身を追い込んで成功を掴んでいくというスタイルが、本田圭佑選手なのです。

成功すれば、有言実行男としてもてはやされますが、失敗すれば一斉に批判され、口だけ男と罵られるという非常にリスリーなやり方です。

時には批判され屈辱を味わう事もありましたが、本田圭佑選手はそれを物ともせずこれからも邁進するでしょう。

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本田圭佑選手の中学時代

摂津市立第四中学校に入り、更なるレベルアップの為、ガンバ大阪ジュニアユースに所属します。同期には、ガンバ大阪の最高傑作と言われた家長昭博選手がいました。

家長昭博選手は、エースとして活躍し高校2年で既にトップに昇格してしまいました。一方、当時の本田圭佑選手はというと、スタミナとスピード不足が露呈され、試合でも直ぐに息切れしてしまう状態でした。

その為、ガンバ大阪でも準レギュラー状態で、ユースへ昇格する事が出来ませんでした。エリート街道を行く家長昭博選手とは、この時選手として、雲泥の差がついてしまったのです。

当時を良く知る一年後輩の安田理大選手は、本田圭佑選手についてこのように語っています。

俺はよく柔道で投げ飛ばされ、腕相撲で腕をへし折られそうになっていました。

ほとんどのジュニアユースの選手がその圭佑ゴリラの被害にあっていました。

なので当時のあだ名はそのまま「ゴリ」でした。

夏になれば真っ赤なタンクトップにジーパンという中学生ではありえない格好をしてたときもあります。

ロッカールームではラルクの歌をハイドになりきって大声で歌っていたときもあります。

家長昭博との喧嘩なんてしょっちゅう見ていました。

まるでマウンテンゴリラ対ジャイアントゴリラです。

中学時代の本田圭佑選手は、サッカー選手としてはまだ開花していませんでしたが、身体的能力は異常に高く、その力をチームメイトに対し、存分に示していたようです。

家長昭博選手との喧嘩というのも、サッカーに対するジェラシーがあったのかもしれません。

本田圭佑選手の高校時代

本田圭佑選手は、高校の進学先を地元の大阪ではなく、遠く離れた石川県の星稜高校に決めます。

大阪には、大阪桐蔭高校などのサッカー強豪校があるにもかかわらず、あえて県外でしかも当時はサッカーでは無名だった星稜高校でサッカーをやることを決意します。父親に頼み込み、県外の高校に行く事をお願いしたそうです。

星稜高校といえば高校野球では有名ですが、何故こちらの高校を選んだのかは謎ですが、親元と地元を離れて過酷な環境で、自分を追い込むという本田圭佑選手ならではの考えだったのかもしれません。

星稜高校で、高校サッカー選手の憧れである全国高等学校サッカー選手権大会の出場を目指しました。

選手権ではベスト4に輝く

高校で懸命にサッカーの練習を続け、1・2年時には果たせなかった選手権への出場が、3年になってようやく叶いました。3年時には本田圭佑選手は、キャプテンでしかも10番を付けていました。チームメイトには、豊田陽平選手橋本晃司選手がいた事も大きかったです。

高校になると、メキメキと頭角を現していった本田圭佑選手。のちに所属する事になる名古屋グランパスエイトでも、その実力を買われ特別指定選手として登録されました。

選手権大会では、初戦で岡崎慎司選手擁する滝川第二高校と対戦しますが、見事に打ち破りました。この時のマル秘エピソードとして、トーナメントの組み合わせ抽選会が執り行われた時に、たまたまクジを引く時に強豪の滝川第二高校の名前が見えてしまったといいます。

普通なら避ける所をあえて本田圭佑選手は、滝川第二高校を選び対戦したのです。本田圭佑選手らしいエピソードですが、楽な道ではなく棘の道を突き進む、リスクをあえて取るというスタンスはこの当時から持っていたようです。

その後、初戦を見事突破しそのまま突き進み、石川県勢では初めてのベスト4にまで進出する事が出来ました。本田圭佑選手としては、勿論優勝を狙っていたはずですが、チームメイトが負けてしまい涙していても本田圭佑選手だけは、涙は見せなかったといいます。

人一倍努力してきた男ですが、悔し涙だけは見せないという強い信念を持っていたのでしょう。しかし、準決勝ではありましたが、国立競技場に行くという目標だけは果たせました。

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本田圭佑選手の学生時代まとめ

本田圭佑選手の幼少期からのエピソードを見てみますと、初めからサッカーがうまかった訳では無く、努力してサッカーがうまくなったというのが良く分かります。中学時代は挫折も経験しましたが、雑草魂で日々邁進し、人一倍努力して強くなったのです。

元サッカー日本代表選手でキャプテンまで務めた中澤佑二選手も、学生時代は全くの無名でしたが「プロになりたい」という強い信念を持ち、諦めずに努力した結果、あそこまでの地位を確立したのです。

こう見ますと、どんな人でも諦めなければ道が開けるというのが良く分かります。むしろ、学生時代に注目され期待されている選手ほど、代表では活躍出来ていないケースも見受けられるのです。

本田圭佑選手の親戚も大物

あまり知られていませんが、本田圭佑選手兄弟やの親戚にも大物の有名人が存在します。

まず、本田圭佑選手のお兄さんの本田弘幸さんも元プロのサッカー選手です。帝京高校で活躍し、アルゼンチンの名門リバープレートやテンペレイでプロサッカー選手としてキャリアを積みましたが、怪我の為引退しています。

現在では、俳優業の傍ら会社の代表を務め、国内外のサッカー選手の代理人の仕事をしております。本田圭佑選手もサッカーにかけては、兄の本田弘幸さんの影響をかなり受けたはずです。

次は、本田圭佑選手の大叔父にあたる本田大三郎さんです。本田大三郎さんはカヌー選手として東京オリンピックに出場した実績があります。

その息子である本田多聞選手も、アマレス界では知らない人がいない程の選手で、オリンピックに3度出場したり、全日本選手権では8度も優勝するなど、レスリングではとてつもない実績を残し「アマレスの神様」と呼ばれていました。その後はプロレスラーに転向し、プロになっても抜群の強さを見せました。

スポーツ家系なのは偶然ではない

先ずは、体格から見てみましょう。本田圭佑選手は、身長182cmの体重74kgです。兄の本田弘幸さんは、身長178㎝体重75㎏です。

親戚の本田多聞選手は、身長188㎝体重130㎏です。オリンピック選手だった本田大三郎さんも体形は不明ですが、かなり大きいものと思われます。

このように、本田家の家系は全体的に体が大きく、骨太の体格だといいます。

本田圭佑選手も、体格については他の選手よりも大きなアドバンテージを貰っていたのかもしれません。

持って生まれたDNAを生かし、まだまだサッカー選手として活躍して頂きたいです。

本田圭佑選手の夢ノートとは?

本田圭佑選手は、小学生時代にオリンピック選手だった本田大三郎さんに、どうしたらプロのサッカー選手になれるのか?と尋ねたそうです。

そうしたら本田大三郎さんは「毎日練習日誌を付けて、それを毎晩見返せ」と言われたそうです。世界一のサッカー選手を夢見ていた本田圭佑選手は、その教えを守り毎日練習日誌を付けたといいます。

非常に地味で、気が遠くなるような作業ですが、アドバイスをした本田大三郎さんも現役時代は、毎日練習日誌を付けていました。

練習日誌を付ける事によって、半永久的に記録が残りますし、何より文字にしたり絵にかいたりする事で、改善点が明確になり、それを修正したりステップアップさせたり出来るので、一見地味な作業ではありますが、絶大な効果があるのです。

「毎日書き綴る作業日誌が山になれば一流選手になれる」と本田大三郎さんも太鼓判を押していたのです。本田大三郎さんの教えを守つた本田圭佑選手は、見事に一流選手えと成長したのです。

その経験を未来の子供達に伝えるべく「夢ノート」と題して、世界各地のイベントで広めています。

▼本田圭佑選手のまとめ記事はこちら▼

本田圭佑まとめ

2018年5月12日
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