本田圭佑の年俸は?海外でも評価を上げ年収もアップ

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日本サッカー界を牽引してきた男、本田圭佑選手。

実績もさることながら、やはり気になるのは本田圭佑選手の年俸や年収ではないでしょうか。

小学生の頃から海外で活躍する事を明言し、大金を稼ぎ親孝行をしたいという夢を文集で語っていました。

年俸が40億円とワールドカップの優勝以外は、ほとんど達成してしまっているのが驚きです。

①セリエAで10番

②独自ブランドを作る

③大金持ちになって親孝行する

年俸の40億というのは、現時点では不可能に近いですが、ワールドカップの優勝や世界一のサッカー選手という目標は、現役である以上追い続けて頂きたいものです。

40億円はさて置き、本田圭佑選手はサッカー選手として、これまでとてつもなく大きな大金を稼いできました。その年俸の推移を見ていきましょう。これにより、プロサッカー選手となってからどれほどまでに成長し、稼いできたのか等が詳しく分かります。

名古屋グランパスエイト時代

星稜高校で、3年時にはキャプテンとして活躍し、高校サッカー選手権において、石川県勢として初のベスト4に導き、鳴り物入りで名古屋グランパスエイトに入団しました。

Jリーグの複数のクラブからオファーがあったものの、名古屋グランパスエイトを選びました。こちらのクラブを選んだ理由は、「オファーがあれば海外クラブへの移籍を認める」という条項が含まれていたからというのが、大きな決断理由だったといいます。

中学時代は、ガンバ大阪ジュニアユースに入団しており、当時はスピードとスタミナに乏しく、ユースに昇格出来ませんでした。今となってはガンバ大阪も惜しい事をしたなと悔やんでいる事でしょう。

2005年度【年俸480万円】(19歳)

高卒ルーキーのC契約では最高額の年俸を貰っていました。今までは450万円とされていましたが、最新の情報では480万円だったと本人が語っています。

これは、クラブ側の期待の表れであり、現に高卒ルーキーでありながら開幕スタメンに選ばれ、いきなりアシストを決めるなど大器の片鱗を見せてくれました。

2006年度【年俸1000万円】(20歳)

ルーキーイヤーの初年度は、31試合に出場し2ゴール4アシストとまずまずの結果を残す事が出来ました。本田圭佑選手にとってもプロの厳しさを痛感した1年となったはずで、得点は2点どまりでしたが、かなり成長した年でもあります。

この時はまだレギュラーではなかったものの、31試合に出場した実績と活躍が認められて、昨年に比べて年俸は倍の1000万円にまで評価されました。

2007年度【年俸1800万円】(21歳)

プロ生活2年目にはレギュラーに定着した時期でもあります。この頃にはチームでも主軸となりつつある時期で、欠かせない存在となっていました。

成績的にも、29試合に出場し6得点の4アシストと得点力も格段に向上してきました。年俸も倍とまではいきませんでしたが、2年目にして1800万円という高評価を頂き、トップ選手という自覚も芽生えてきたところではないでしょうか。

名古屋グランパスエイト時代の評価

プロ生活を始める上で、最良のクラブを選んだといえます。高卒ながらプロの厳しいレギュラーに打ち勝ち、レギュラーに定着した実績は、日々の努力の証ではないでしょうか。

年俸も右肩上がりに上昇し、同クラブにそのまま在籍していたとしても、年俸は億単位を狙えたはずです。

VVVフェンロ時代

海外志向の強かった本田圭佑選手は、新天地を求めて海外のクラブの移籍先を探します。

海外からのオファーを待つのではなく、自らが現地に赴き移籍先を決めるという常識では考えられない破天荒な実行力で、移籍先を決めました。そこは、オーストラリアVVVフェンロです。

VVVフェンロは、当時まだ日本人選手が在籍した実績はありませんでしたが、入団テストを受け見事に合格し、契約までこぎつけました。

この類まれな実行力こそが、本田圭佑選手の真骨頂なのです。

2008年度【年俸6500万円】(22歳)

VVVフェンロとの契約は、2年半で年俸は6500万円でした。さすがわ海外のクラブという事で、一気に金額が上昇しました。

海外移籍第一弾の結果は、冬の移籍という事もあり14試合2ゴール0アシストという結果に終わりました。不慣れな外国で、初年度としてはまずまずの結果だったのではないでしょうか。

しかしチームは、本田圭佑選手が救世主とはなれず、この年に残念ながらエールディヴィジ(オランダ1部リーグ)からエールステ・ディヴィジ(オランダ2部リーグ)に降格してしまいました。

どこのリーグでも同じですが、1部リーグと2部リーグの差は歴然で、非常に厳しい戦いを強いられますが、本田圭佑選手は奮起し2部リーグでも全力を尽くす事を誓います。

2009年度【年俸6500万円】(23歳)

2シーズン目も年俸は変わらず6500万円です。2部リーグに降格したチームを立て直すべく本田圭佑選手は立ち上がります。

クラブからの信頼も厚く、背番号は10番を背負いキャプテンまで任されるようになります。開幕当初から攻撃の軸を担い、本田圭佑選手が起点となってチームが動きます。フリーキッカーとしても活躍し、結果的には36試合に出場し16ゴール13アシストという好成績を収めました。

本田圭佑選手の活躍により、2部リーグで優勝し僅か1年で1部リーグに復帰する事が出来ました。2部リーグでしたが、本田圭佑選手は年間最優秀選手賞(MVP)も受賞し、名実共にその名を轟かせました。

VVVフェンロ時代の評価

初の海外移籍とは思えない素晴らしい活躍ぶりでした。2部リーグに落ちても凹むことなく再起するところは、逆境に強い本田圭佑選手ならではといったところではないでしょうか。

1部リーグに復帰した後も、チームの為に貢献し18試合6ゴール7アシストと2部リーグと変わらない活躍を見せてくれました。

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CSKAモスクワ時代

念願だった欧州ビッククラブ移籍への足掛かりとなる、ロシアプレミアリーグのCSKAモスクワに移籍する事になりました。

ビッククラブへの移籍の布石となるだけではなく、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)に出場出来ることも、移籍した理由だったのかもしれません。

VVVフェンロ時代と2010年に行われた南アフリカワールドカップでの活躍が認められて、CSKAモスクワでは4年契約の移籍金12億円という破格の条件で契約しました。この時の契約で初めて移籍金が発生した訳ですが、それだけ市場価値が高かったというのが良く分かります。

ロシアは、冬になると平均気温は-10度程度ですが、内陸部では-50度以下にもなる非常に過酷なところです。本田圭佑選手は、夢の実現の為にこの過酷な環境でも持ち前のバイタリティーで、頑張り続けます。

2010年度【年俸3億円】(24歳)

CSKAモスクワに移籍し、CLに出場出来る機会が巡ってきます。セビージャ戦では初アシスト、初ゴールを決めCLでのベスト8に大きく貢献しました。

CSKAモスクワでは、不慣れなボランチのポジションを任されていましたが、結果的には28試合に出場し4ゴール4アシストと存在感を見せてくれました。

2011年度【年俸3億円】(25歳)

この年に行われたロシアカップにおいて、CSKAモスクワは決勝まで進出し、決勝の試合においても本田圭佑選手は、決勝点のアシストをお膳立てするなど6度目の優勝に大きく貢献しました。

レギュラーシーズンでは、ポジションを得意の右サイドハーフに起用されることになった為、抜群の安定感でゴールを量産していました。

しかし、右膝半月板を損傷し全治3ヶ月の診断を受けてしまい止む無く戦線離脱を余儀なくされます。その後復帰しましたが、再び右膝に痛みが生じたため、試合に出場することは出来ませんでした。今シーズンは、18試合7得点3アシストと怪我をする前は好調だっただけに、残念な結果となってしまいました。

2012年度【年俸3億円】(26歳)

シーズンの序盤は、何とか怪我から復帰し試合に出場する事が出来ました。しかし、再び左太ももを負傷してしまい試合に出場出来なくなってしまいます。本田圭佑選手がいない影響で、チームの成績も低迷し、CL出場権も逃す結果となってしまいました。

怪我の影響もありましたが、この年は23試合に出場し、7ゴール5アシストと結果的にはチームの大黒柱としての役割は果たしました。

2013年度【年俸3億円】(27歳)

今シーズンでも怪我に泣かされます。左足首を痛め再び戦線を離脱し、治療を余儀なくされます。本田圭佑選手がいない状態が長く続きましたが、チームの方は好調でリーグ優勝とロシアカップ優勝とロシアスーパーカップ優勝と国内の主要タイトル3冠を達成しました。

本田圭佑選手にとっては、欧州1部リーグの優勝チームに在籍できた事が、大きな財産となったはずです。しかし、怪我の影響もあり結果は、18試合に出場し1ゴール2アシストにとどまりました。

CSKAモスクワ時代の評価

リーグの優勝やCL出場など、今までに無い貴重な経験をロシアプレミアリーグで積みました。選手としても最も脂の乗っている時期でもあり、地元ロシアのスポーツ紙でも評価は高かったです。

しかし、終盤は怪我の多いシーズンでした。サッカー選手である以上、怪我は免れませんが本人も試合に出られず悔しい思いをしたに違いありません。

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ACミラン時代

遂に念願かなってセリエAの名門ACミランに完全移籍する事が出来ました。これもひとえに今までの努力の賜物に他なりません。

小学生の頃に夢描いた目標が現実となったのです。しかも背番号も希望していた10番。ACミラン側としても低迷していた成績を本田圭佑選手に託したのです。入団記者会見でも本田節がさく裂し、記者からの質問に対し「サムライに会った事が無い」「リトルホンダに聞いた」など名言を残しました。

移籍した時に移籍金は発生しませんでしたが、3年半の契約で年俸は驚異の7億7000万円。年俸の他に勝利給などの成果プレミアムが付くと10億円に届くのではないか?と言われていました。勿論税金を引かれると4億5000万円程度になってしまいますが、それにしても凄い金額です。

当時のACミラン内の年俸では歴代でも2番目に多い金額で、日本代表では香川真司選手に次ぐ2番目に多い年俸でした。

2014年度【年俸7億7000万円】(28歳)

移籍して徐々に先発出場する機会も増えて、初ゴールを決めるなど期待をされていましたが、シーズン途中だったこともあり結果は、14試合に出場し1ゴール2アシストでシーズンを終えました。

この時に、当時同じセリエAのインテルに所属していた長友佑都選手とのミラノダービーが期待されていましたが、本田圭佑選手が試合に出られなかった為、実現しませんでした。

2014年度【年俸7億7000万円】(28歳)

新たなシーズンでは、初戦で先発出場し得点を挙げるなど、復活を予感させる良い働きをしました。その後も1試合で2ゴールを決めたりと、ここでも徐々に存在感を示し始めてきました。

昨年叶わなかった長友佑都選手とのミラノダービーも実現し、日本でもかなり話題となったのです。成績的には29試合に出場し6ゴール4アシストと活躍出来ましたが、ACミランのセリエAでの順位は低迷していました。

2015年度【年俸7億7000万円】(29歳)

この年のシーズンでは、ミハイロヴィチ監督に交代した事もあり、中々出場機会が得られずにイライラが募ったのか、チーム批判のような発言をしてしまいます。

後半戦では、監督の信頼を得るようになり、レギュラーに定着し右サイドハーフで機能し始めます。しかし、前半戦の途中出場が響いてか、結果は30試合に出場し1ゴール3アシストと低迷してしまいました。

2016年度【年俸7億7000万円】(30歳)

またしても監督の交代劇があり、モンテッラ監督が就任します。モンテッラ監督はスピードサッカーを好み、スピードの無い本田選手は起用されなくなってしまいました。

この頃から移籍の話が頻繁に舞い込むようになり、試合に出られない本田圭佑選手は日本代表の試合でも、試合勘が鈍くなりミスやちぐはぐなプレーが目立つようになります。

結果も振るわず、8試合の出場にとどまり1ゴール0アシストと散々な結果となってしまいました。

ACミラン時代の評価

ACミランの再建を託された本田圭佑選手ですが、結果も振るわず自身の市場評価額も大きく下げてしまう結果となりました。

セリエAで活躍できなかった要因として挙げられるのは、本田圭佑選手がイタリア語を覚えなかったことも関係しているといいます。言葉が話せずチームメイトとコミュニケーションが取れずに孤立してしまったのではないかという話もあります。

それにACミランのサポーターからも愛されてなかったという話も聞こえてきます。サポーターあってのチームなだけにファンは大事にしたいものです。

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CFパチューカ時代

試合の出場機会を増やす為や、日本代表に選ばれる事を目標として移籍を決断します。トルコのガラタサライから2年契約の2億5000万円のオファーなどもありましたが、結局新天地であるメキシコのCFパチューカに移籍する事となりました。

世界の大富豪であるカルロス・スリム氏が経営に参入している事もあり、資金面は潤沢でクラブ施設も充実しております。CFパチューカに移籍に至った経緯は、年俸の高さもさることながら、クラブとしても北中米カリブ王者として、FIFAクラブワールドカップの出場権を得ているというのも移籍の決定打になったのかもしれません。

しかし、メキシコというと高地に位置し酸素が薄く、富士山で言うと5合目あたりに位置する環境です。トレーニングするには心肺機能を高める働きがあり、サッカー選手としてはレベルアップが計れていいのですが、慣れるまでには時間がかかるでしょう。

また、一番心配なのは治安です。メキシコといいますと場所によっては事件などが頻発して起こります。特にお金を持っているサッカー選手などは狙われやすく、子供の誘拐なども心配になってきます。

それは本田圭佑選手も十分承知した上で、メキシコに来たわけですからどうにか乗り越えていって欲しいです。

2017年度【年俸4億5000万円】(31歳)

年俸は下がってしまいましたが、それでも4億越えは年齢からみても評価は未だに高いのが分かります。

選手としては序盤こそ右ふくらはぎ肉離れを起こし、試合には出られませんでしたが、その後見事に復活し得点も量産しました。

クラブワールドカップにも出場し、スタメンで起用されゴールは奪えなかったものの、チームの中心的な役割を果たし、クラブワールドカップ3位の成績で大会を終える事が出来ました。

リーグ戦ではその後も活躍し、早くもチームの大黒柱となっております。

CFパチューカ時代の評価

セリエA時代に比べると、全体的にはリーグ戦の力は劣るものの、身体能力の高い選手が数多く存在し、決してレベルは低くは無いです。

年俸の高さからメキシコ代表の選手も数多く国内リーグ(リーガMX)に残り、切磋琢磨しているのです。

本田圭佑選手もメキシコに来てから、また輝きを取り戻し全盛期のパフォーマンスを見せて頂きたいです。

本田圭佑の年収(CMスポンサー契約)

本田圭佑選手のサッカー選手としての年俸は、凄まじい額を稼いでいるというのはよく分かって頂けたと思います。今度は、年俸以外の収入について見ていきましょう。

世界的なサッカー選手に成長して、知名度を上昇させた本田圭佑選手は、CMなどのスポンサー契約も当然の事ながら各社から依頼が舞い込みます。

タレントでもスポーツ選手でもCM契約というのは、大きな収入源の1つとなっているのです。

それでは、本田圭佑選手が現在でもCM契約している企業と、過去にCM契約していた企業を調べていきます。

ドコモ(LTE Strong)
TBC(メンズTBC)
アクエリアス(スパークリングレモン)
アサヒフード(ミンティア)
カプコン(モンスターハンター4)
マクドナルド(クォーターパウンダー)
HONDA(自動車メーカー)
ユニクロ(カーゴ)
オリンパス
ANA
楽天モバイル
ベネッセ
ミズノ
スカパー

ちょっと調べただけでもこれだけ出てきました。この他にもまだあるはずです。

面白かったのが、本田圭佑選手と同じ自動車メーカーのHONDAがスポンサー契約していた事です。やはり同じ名前なのが親近感があり、契約に結び付いたのでしょうか。その他にも本田圭佑選手が愛用している腕時計のガガミラノとも以前は契約していました。

莫大な年俸にプラスして、これだけ大企業とのスポンサーと契約していたら、莫大な年収となるはずです。ちなみにサッカー界のレジェンドである三浦知良さんは、年俸よりもCM契約の収入の方が高いそうです。

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本田圭佑の年収(サッカースクールの運営)

HONDA ESTILO株式会社の事業の一環であるサッカースクールを運営しております。開始当初は小学生を対象としたサッカースクールでしたが、その規模を拡大し、中学生、高校生と増やしています。

その背景には、小学生からサッカーの基礎を学ばせ、中学生、高校生、プロへと育てて行き日本サッカー界の底上げを図りたい考えなのです。

こちらのサッカースクールは、日本最大級の規模となっており、日本国内で既に66の拠点を持っています。これからも更に増やしていく予定です。本田圭佑選手が日本に帰国した際は、自身のサッカースクールで指導を行い、小学生達にプロの厳しさを教えています。

HONDA ESTILO株式会社の社長は本田圭佑選手実父である、本田司さんが務めており、本田圭佑選手は実質のオーナーという立場です。

利益の方は不明ですが、これだけの規模ですので、憶測ですが相当稼いでいるかもしれません。

本田圭佑の年収(海外クラブチームの運営)

HONDA ESTILO株式会社は、オーストリアの3部リーグではありますが、SVホルンと業務提携パートナーを結びました。その他にもカンボジアのシェムリアップ・アンコールFCと、翌年にはウガンダのブライトスターズもオーナーとなったのです。

シェムリアップ・アンコールFCは、ソルティーロ・アンコールFCに名称を変更させスタートしています。

SVホルンに関しては、クラブ買収ではないか?と騒がれましたが、あくまで業務提携パートナーという関係です。本田圭佑選手の将来の希望としては、日本人選手が海外のクラブに移籍しやすいようにと、業務提携パートナーを結んだのではないかと言われております。

カンボジアとウガンダのチームに関しても、この地で暮らす人たちの惨状を知り、いくら頑張ってもプロのサッカー選手にはなれない現状を知り、早速行動に移し、クラブの経営権を取得したといいます。

発展途上国でも、プロのサッカー選手になる夢を持ってもらいたいと、本田圭佑選手自らが先頭に立ち、将来サッカーで稼げる環境作りがしたかったのではないでしょうか。

こちらのクラブチーム運営に関しては、恐らく利益は出ておらず、世界でサッカー界を盛り上げようとする本田圭佑選手ならではの、熱い思いが形になった例ではないかと思われます。

本田圭佑の年収(独自ブランド)

本田圭佑選手は、ファッションにも精通しています。スーツや私服はブランド物を着こなし、身に付けるサングラスや時計も全て一流ブランドの物です。

本田圭佑選手の最新ファッションについて解説

サングラスなどのアクセサリーについての記事はこちら

そんなファッションブランド好きの本田圭佑選手は、独自ブランドを立ち上げてしまいました。その名も自分の名前をもじった「KSK」です。KSKの文字が入ったネクタイを販売し話題となっております。

その他にも、香水をプロデュースしたり、美容に関する商品やコスメなども、色々と売りだしています。特に香水は品切れになる程の人気で、未だに売れ続けています。

本田圭佑の年収(TV出演)

本田圭佑選手の場合は、本人があまり得意でないのか、マスコミに対して社交的では無い対応をします。

そういった事もあってか、あまりテレビでベラベラしゃべるような事もしませんし、バラエティー番組にも出演した事は無いでしょう。

元々大阪人なので笑いは好きなはずですが、何故かテレビ出演は非常に少ないのです。

過去にもSMAP×SMAPのビストロスマップで、南アフリカワールドカップ終了後、出演オファーが来たにもかかわらず断っていました。出演料は、破格の300万円とも言われていましたが、出演することはありませんでした。

もし、出演していたら高視聴率は間違いなかっただけに、関係者も頭を痛めた事でしょう。代わりに決勝トーナメントのパラグアイ戦でPKを外してしまった駒野友一選手が出演していました。ファンとしても本田圭佑選手の考えなども聞きたかっただけに残念です。

こういった事もあり、テレビ出演はほとんどサッカー関連の番組にしか出ないので、出演料というのは年間でも少ない方なのではないでしょうか。

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お金の使い道

年間これだけ稼いでいる本田圭佑選手ですが、収入は何に使っているのでしょうか?大まかに分けるとこの様になるのではないでしょうか。

①ビジネスへの投資

②寄付

③自身への投資

ビジネスへの投資

まずは、間違いなくこちらが一番多く使っていると思われます。サッカースクールの拠点を増やしたり、外国のクラブと業務提携パートナーを結んで出資したりと、莫大な金額が掛かります。

スケールの大きい本田圭佑選手は、これからも更に拡大して行くでしょう。

寄付

こちらは、あまり知られていない事実なのですが、本田圭佑選手は毎年、かなりの額の寄付をしているのです。

①東日本大震災の義援金(5000万円)
日本赤十字社を通して個人的に寄付されました。

②メキシコ大地震支援金(約310万円)
メキシコの赤十字社を通して寄付されました。

③熊本地震被災地支援金(1000万円)
個人的な寄付の他に、熊本震災復興支援SOLTILO CUPを立ち上げ1,069,008円の義援金を集めました。

④イタリア地震支援金(約230万円)
イタリア赤十字社を通して寄付されました。

本田圭佑選手は、世界一のサッカー選手になる事や、世界のサッカー界の人気の向上の他にも、世界平和というのも大きな目標に掲げています。

自分が身を粉にして働いた収入を、慈善事業や地震などの復興に役立ててもらうという考えは尊敬に値します。

一部の人からは、寄付した事により「人気取り」や「偽善者」などと罵る人もいますが、そう言っている人に限って1円も寄付していないのです。本田圭佑選手が寄付する事により、私も寄付したいという人が出てくる可能性もありますので、こういった物には影響力というのをフルに活用されて頂きたいです。

自身への投資

本田圭佑選手は、ヘアカット代に年間1900万円ものお金を使っているといいます。その他にも日本に帰国した際には、高級ブランドスーツに身を包んだり、私服でも有名ブランドの服を着て空港に現れます。

高級腕時計を両腕に付け、愛車は真っ赤なフェラーリ458イタリアになります。これは正に成功者の証と言わんばかりのセレブな光景なのです。

しかしこれは、本田圭佑選手の真の姿ではありません。高級ブランドを着飾ったり、高級スポーツカーを乗り回す事によって、サッカーをやっている子供たちに夢を持ってもらいたいという本田圭佑選手なりの演出なのです。

実は本田圭佑選手は、ファッションセンスに乏しく、ファッションデザイナーにアドバイスをもらいながら、マスコミや一般人が多く押し寄せる成田空港で「成田ブランド」を見せるといいます。普段の本田圭佑選手は、Tシャツにジーパンというラフなスタイルが好みなのです。

逆にみすぼらしいだらしないカッコで、本田圭佑選手が人前に現れたら、プロのサッカー選手を目指す子供達の夢が壊れてしまいます。

まとめ

プロ初年度の年俸は、480万円からスタートし、最高では7億7千万円まで高めていった本田圭佑選手。

メキシコのパチューカに来て年俸は落ちてしまいましたが、年齢からみても非常に高額で、一流選手として見られている証拠です。

ここまで成功した理由は、目標を高く持ち努力した結果に他なりません。

本田圭佑選手の活躍が、サッカー少年の憧れとなり、日本代表になりたいと一人でも多く出てきてくれることを本人も望んでいるはずです。

▼本田圭佑選手のまとめ記事はこちら▼

本田圭佑まとめ

2018年5月12日
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