本田圭佑は何故ミランで活躍できなかったのか?

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ワールドカップとCSKAモスクワでの活躍が認められ、ACミランに移籍した本田圭佑選手。

低迷する名門の窮地を救うべく日本の侍がイタリアの地へとやってきました。入団当初は自信に満ちた表情で会見に臨み「リトル本田」という名言まで飛び出しました。

今までの活躍ぶりならミランの10番を背負ってでも活躍できるだろうと誰もが思っていました。

そんな中、いざ試合が始まると序盤こそは得点を決めるなど存在感を見せましたが、徐々にイタリアサッカーの高い壁にぶち当たります。

試合には出場するものの、中々結果に結び付きません。何故このような事態に陥ってしまったのでしょうか。

ロシアリーグでの好調さが嘘のように

ロシアでも日本代表でも調子が良かっただけに、セリエAでの動きは本調子とは言えません。この理由としては、本田圭佑選手はバセドウ病ではないか?という噂があったのです。

バセドウ病に関する記事はこちら

バセドウ病にかかってしまうと、疲れやすくなったり息切れしてしまったり、不眠になってしまったりとスポーツ選手にとってみれば命とりとも言いかねない状況です。

日常生活もままならない状況下において、本田圭佑選手は孤軍奮闘します。

公表はされていませんが、ACミランに入団する前にバセドウ病の手術をしたのではないかと言われているのです。その影響もあってか、本来の動きが出来なかった可能性はあります。

しかし、本田圭佑選手意外にも、ドイツ人サッカー選手のエジル選手もバセドウ病にかかっていますが、サッカー選手として十分活躍しています。

プロである以上言い訳はできない

本田圭佑選手がバセドウ病にかかってしまったというのは、首にある傷跡を見ると一目瞭然ですので、明らかなのですが一切公表はしません。それどころか傷跡を目立たなくするために首にあるテープを小さくしている程です。

前記のように、もし本当にバセドウ病にかかっているとするならば、体に相当な負担がかかっているのは事実です。それはエジル選手でも同様です。

しかし、プロのサッカー選手はそのような病気も怪我も一切言い訳にするわけにはいきません。あくまでピッチ上でのプレイが全てなのです。

本田圭佑選手は、日本で極秘に手術したとされ、現在ではかなり回復し見た目もかなり通常に戻りつつあります。ACミランに入団した時も、厳しいメディカルチェックもクリアしているので、身体的には問題無いはずです。

バセドウ病にかかってしまった原因はたくさんあると思いますが、ストレスというのも原因の一つとされています。世界中から注目される選手なだけに、身体的にも相当なプレッシャーがかかり、相当なストレスがあったのかもしれません。

そもそもセリエAに匹敵する選手では無かった

専門家の話では、本田圭佑選手は、セリエAで活躍できるような選手では無かったという話もあります。

今まで、日本のJリーグ、オランダのエールディヴィジ、ロシアのプレミアリーグと渡り歩いてきましたが、イタリアのセリエAともなるとレベルが格段に違います。

今でこそ、世界最強リーグから滑落してしまいましたが、今でも欧州4大リーグの一角を担っています。そんな中で、プレイするともなると今まで以上のパフォーマンスを見せないと、レギュラーどころかベンチにすら座れないのです。

1年1年が勝負の年であり、今年ダメだったから来年頑張ろうといった甘えは許されません。その為、選手も使い物にならなければ試合に出ることは出来ませんし、監督もシーズン途中だろうが解雇などは当たり前のように行われています。

本田圭佑選手は、3年半の契約を結んでいる為、途中解雇というのは無かったのですが、終盤ではほとんど試合に出ることは出来ませんでした。

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監督の信頼を得られず

試合に出場する事が出来ない不満から、監督やチームの批判を繰り返すようになった本田圭佑選手ですが、それでも状況は変わりません。

イタリアサッカーというのは、結果が全てで結果の出ない選手は地元紙にもコテンパンに悪評を書かれてしまうのです。

かつて鹿島アントラーズに在籍していた元ブラジル代表のレオナルド選手も、イタリアサッカーに馴染めず衰退してしまいました。本田圭佑選手も、ACミラン史上最低の10番と揶揄されながらも、途中で移籍する事無く出番を待ちます。

ベンチにいる時でもいつでも出られるようにウォーミングアップをしたり、普段の練習も手を抜くことは全く無かったといいます。これはやはり、ミランの10番という責任の表れではないでしょうか。

監督がミハイロヴィチ監督からモンテッラ監督に変わりましたが、状況は変わらずむしろ悪い方へと変わっていってしまいます。

ミランでの状況は益々悪い方向へ

成績の低迷からモンテッラ監督へと変わりました。この交代劇は本田圭佑選手にとって吉と出たか凶と出たかというと、紛れもなく「凶」という事になるでしょう。

ポジションは得意のトップ下では使ってもらえず、いつも不慣れなポジションを任され、チームメイトとの連携もうまくいきません。

それに、モンテッラ監督のポゼッションサッカーについていけず、監督の構想からも完全に除外されてしまったのです。試合でのローテーションにも組んでもらえず、在籍した最後の年には、ほとんど試合には出られませんでした。

本田圭佑選手に変わって信頼を得たのは、スペイン人のスソで、正レギュラーの座はスソに奪われてしまいました。

確かにスソは、監督の期待に応えチーム内で躍動し、ミランの中でなくてはならない存在へと変わっていきました。その点、本田圭佑選手は少ないチャンスも結果を残すことは出来ず、3年半という契約期間で契約が更新される事なくACミランを去る事となってしまったのです。

言葉の問題もあった

本田圭佑選手はミランに在籍時、ほとんどイタリア語を話す事は無かったといいます。簡単なイタリア語は話す事はできたと思いますが、普通に会話するようなレベルでは無かったのではないでしょうか。

選手として多忙なだけに、言葉の勉強までしなければいけないというのは、酷な事だとは思いますが、今までイタリアのみならず世界各国で活躍してきた選手は乗り越えてきた事です。

以前、イタリアで活躍した中田英寿さんは、学生時代からイタリアへ行く事を想定していたので、難なく言葉を喋れるようになっていました。やはり、現地の言葉が理解できないと、コミュニケーションが取れずに連携などがうまくいきません。

試合中でも、意思疎通ができない為、ミスも多くなってしまいます。そういった試合でのストレスも本田圭佑選手の不調の引き金になったのかもしれません。

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何故移籍しなかったのか?

契約時に、3年半の契約をした為に途中で移籍というのは通常ではやってはいけない事になります。もし、複数年契約になっているにもかかわらず、他のクラブチームが欲しいとなった場合、莫大な違約金が発生します。

ブラジル代表のネイマールも莫大な違約金を払って、パリ・サンジェルマンに移籍した経緯があります。

本田圭佑選手は、そこまでの選手では無く、他のチームからも移籍の噂は度々あったものの、現実には移籍はしませんでした。

ACミラン側としては、本田圭佑選手がいるとユニホームが飛ぶように売れるのでメリットがありましたし、本田圭佑選手側からしてみれば、ミランにいる事で価値が上がり、スポンサーが付きやすいといったメリットがあったので、お互いギブ&テイクの関係になります。

その後に移籍したメキシコのパチューカでは、活躍はしたもののメキシコリーグという事で、スポンサーが付きにくかったと言われています。

パチューカについての記事はこちら

試合に出られずに非常に辛い思いをした本田圭佑選手ですが、その後に移籍したパチューカでは、本来の力を発揮し大活躍しました。

ACミランでの状態が日本代表でも影響した

ACミランで試合に出られない事から、日本代表でも精彩を欠くことになります。試合に出られない事で、試合勘が鈍りミスを連発してしまったのです。

これにはすぐさまネットで反応が起こり、本田圭佑不要論なる物まで飛び出していました。

確かにこの時期のプレイは酷く、評論家たちも本田のせいでチームのバランスが崩れるといった酷評をされていました。

その後、パチューカに移り試合に出られるようになり、本来の力を発揮するようになったことで、改めてその存在価値を知らしめる結果となったのです。

パチューカで、試合勘を取り戻した「金狼」はこれからも選手として輝き続けます。

▼本田圭佑選手のまとめ記事はこちら▼

本田圭佑まとめ

2018年5月12日
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