本田圭佑の背番号の推移とは?背番号選びには理由があった!

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本田圭佑選手の学生時代からの背番号の推移を見ていきます。

全ての面に拘る「拘りの男」として知られている本田圭佑選手は、自身が背負う背番号にも拘りがあります。

記事内では、小学生時代からの憧れであったセリエAで10番の背番号を付けられて訳や、メキシコのパチューカでは何故2番だったのか?全日本代表で4番を付けていた理由などを詳しく解説致します。

選手の力では、希望した背番号がもらえず意図しない番号が与えられることが多いですが、本田圭佑選手の場合は今までどのような推移で、様々な背番号を背負ってきたのか時系列で探っていきます。

背番号の推移

星稜高校時代

こちらは、星稜高校時代の画像ですが、3年時には背番号は10番を背負いエースでキャプテンも務めていました。本田圭佑選手が3年の時には、全国高校サッカー選手権において石川県勢では初となるベスト4に輝きました。

高校時代の詳細についてはこちら

高校時代はエースとして10番を付け、背番号に恥じぬ活躍を見せました。

名古屋グランパス時代

名古屋グランパスへプロ入りして、初年度は39番を付けていましたが、翌年からは24番を付けました。プロ入りして2年後にはレギュラーに定着し、その後はチームでも主体となって活躍しました。

名古屋グランパスで主軸となりましたが、背番号は変わることはありませんでした。

VVVフェンロー時代

海外移籍第一弾となるオランダのVVVフェンローでは29番を与えられました。しかし移籍した年に残念ながら1部から2部へ降格してしまいました。

本田圭佑選手は移籍する事無くVVVフェンローに留まり、2部ながらもキャプテンを任され、こちらでも攻撃の主軸となり背番号も10番を与えられました。

CSKAモスクワ時代

CSKAモスクワ時代は、VVVフェンローでの活躍が認められた為か、いきなり7番の番号が与えられました。これはCSKAモスクワのギネル会長始め、幹部達の期待の表れでした。

環境的には過酷ともいえるロシアの地で、本田圭佑選手は期待に応え、ここでも大活躍しました。リーグ戦では7番を付けていましたが、CLでは18番を付けて出場していました。

ACミラン時代

小学校時代からの夢が現実となりました。セリエAの名門ACミランで10番を与えられました。こちらの番号は、本田圭佑選手自らが希望した番号でした。

ACミランとしても、低迷するチームの立て直しを図っており、本田圭佑選手には一身の期待が込められていたのです。結果はと言うとケガの影響や監督との戦術の相違、与えられたポジションに上手くフィットできなかった等の原因から、思うような結果は残せませんでした。

「ACミランの10番がベンチを温めている」と揶揄させることもしばしばありましたが、爪痕を残せぬまま新天地を求める事となりました。

CFパチューカ時代

CFパチューカでは、背番号2を与えられました。CFパチューカでは数字が一桁の場合、伝統的に0を加えて二桁にしており、実際には02番となります。

また、メキシコには背番号に対する規制が無く、三桁の番号(300番など)まで使用されています。日本のJリーグやヨーロッパのリーグでは三桁の番号の使用は禁止されています。

本田圭佑選手が空き番号の中から2番を選んだ訳には、自身が提唱している「世界平和」の象徴であるピース「2」の意味が込められているといいます。

CFパチューカに入団後は、右ふくらはぎ肉離れで序盤こそ出られなかったものの、その後は出場し全盛期を思わせる活躍ぶりで、ゴールとアシストを量産し、健在ぶりをアピールしました。

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全日本代表での背番号

2008年の南アフリカワールドカップ・アジア最終3次予選で、フル代表デビューを果たした本田圭佑選手ですが、その時付けていた番号は18番でした。

本田圭佑選手は、この番号を気に入っておらず、ずっと変えたかったそうです。

18番という番号は日本では「得意・おはこ」といった縁起の良い番号なのですが、サッカーの背番号としては「控えのフォワード」が付ける番号とされてきました。

現在では、そのような認識は薄れ、攻撃的な選手が背負う番号に変わってきているようです。

背番号の変更を打診

どうしても番号を変えたかった本田圭佑選手は、番号の変更を他の代表選手に打診します。本当は10番が良かったのですが早々に諦め、当時3番を付けていた駒野友一選手に変更を打診します。しかし駒野友一選手にはあっさりと断られてしまいました。

その後、4番を付けていた栗原勇蔵選手に打診したところ、あっさりと承諾してくれました。それで、本田圭佑選手は、4番を見事にゲットし4番の番号を長きに渡って背負う事となったのです。

本来、4番という番号は、攻撃的な選手が背負う番号では無いですが「18番よりはマシ」といったところではないでしょうか。それにしても選手間の間で、番号の変更が自由に出来るというのが驚きです。

背番号の持つ意味とは?

サッカー選手の背番号によるポジションは、基本的にはこのようになっています。

スタメンの背番号も基本的には、1~11番で12~16番までは控えになります。そこで、エースナンバーは10番という訳です。

どの国でもほとんどの場合ゴールキーパーは1番を背負っています。次いでディフェンダー&中盤は2~6、攻撃的なポジションは7~11といった具合です。

選手にとっての背番号の拘り

サッカー選手にとって、背番号は誇りでありトレードマークともなる為、番号に対しては異常なプライドを持っている選手もいます。例えば9番という番号は、チーム内でストライカーという位置付けであり、9番を背負う者はストライカーである事の証明でもあります。

しかし、既に他の選手が付けている場合はどうする事も出来ません。そこで背番号の間に「+」を入れて合計9にする選手もいました。(1+8)そこまでやるか?と突っ込まれそうですが、そこまでしてでも番号には拘りがあるのです。

※現在ではその様な荒業は禁止されています。

その他にも、自分の誕生日だったり、ラッキーナンバーだったりと一流選手である程、背番号にはこだわる傾向が強いです。

ユニフォームに入れる名前の方は特に規制は無く、三浦知良さんのKAZUや柴崎岳選手のGAKU、本田圭佑選手のパチューカでのユニフォームは自身の名前をもじった「KSK」が使われていました。自身のブランドでも「KSK」という名前を使っていますが、宣伝となってしまいますが問題無かったのでしょうか?

まとめ

本田圭佑選手の背番号の推移を調べてみました。これだけの選手であっても常に、エースナンバー10番を付けるというのは難しいようです。

今までの選手生活では、ほとんどが背番号は選べない状況であり、攻撃的な選手であっても、若い番号を背負わざる負えないというのが、今回の調査結果から分かりました。

日本代表でも、脈々と受け継がれてきた背番号ですが、何故かエースナンバーである10番を背負うと代表では活躍できないといったジンクスが、未だに残っています。

歴代の選手で見てみると中村俊輔選手、香川真司選手・・・。

確かに10番の責任は重大で、必ず点を入れないと世間からバッシングされるなど、かなりの重圧です。

もしも、本田圭佑選手が日本代表で10番を身に付けていたならば、状況次第ではもっとすごいバッシングを受けていたかもしれません。サッカー選手の憧れであり注目もされますが、それ以上に重圧もあるというもの認識しなければいけません。

▼本田圭佑選手のまとめ記事はこちら▼

本田圭佑まとめ

2018年5月12日
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